山焼きとか
不謹慎な気もしたので記事にするのを控えていましたが、2月にオーストラリアの山火事が大雨の影響で収束へ向かっているというニュースがありましたので日記程度に。
山を焼くのには理由があって神事とともに行われる伝統的な行事でもあるのですが、夜のニュースでも報道している局が少なく感じると義理の叔父が言っていました。同時にオーストラリアの山火事を報道していましたのでね。
今年は前日までの雨のせいかあまり盛大には燃えていなかったように感じました。いつも近くから見るので今度は遠くから全景を眺めてみたいと思います。
翌日は万葉文化館へ行く予定でしたが、また寄り道をしすぎて前を通り過ぎるだけになってしまいました。
訪れたのは宗我坐宗我都比古神神社(そがにいますそがつひこじんじゃ)、甘樫丘展望台、明日香村埋蔵文化財展示室、水落遺跡、藤原宮跡資料室。いつものように駆け足で、藤原宮跡資料室に至っては入口のガイドさんの話だけで時間切れとなりました。
宗我坐宗我都比古神社は橿原市曽我町にあり延喜式神明帳にある式内社。古代豪族蘇我氏に関係する神社だそうで祭神は宗我都比古大神と宗我都比売大神。境内は梅の木が多く良い香りが漂っていました。駐車場は2台分ありますが踏切付近なので注意が必要です。
甘樫丘展望台(明日香村)は毎日の散歩コースにしたい眺めの良い丘で、大和三山と飛鳥をぐるっと見渡すことができかなりおすすめですが、残念ながら無料の駐車場は見当たりませんでした。
明日香村埋蔵文化財展示室は明日香村の出土遺物等が展示されてあり、中でも目を引くのは牽牛子(けんごし)塚古墳(明日香村)の閉塞石の一部・内扉。ガイドの方がおられて丁寧に説明をしてくださいました。拝観は無料で農産物等販売をしている「あすか夢の楽市」のすぐ隣にあります。
水落遺跡は前回飛鳥資料館で学んだ水時計の遺跡です。水時計の理解がまだ追いついていませんが古代ロマンを感じます。「あすか夢の楽市」駐車場の敷地のすぐ横にあります。
藤原宮跡資料室は帰宅直前に駆け込んだら入口で親切なガイドさんが熱く語るのを共感しながら話していたら時間切れとなってしまいましたが、とにかくロマンあふれるこの飛鳥の宮をもっと知りたいと思いました。また次回寄ります。注目は基準資料室で全国の遺物の分類や遺跡の年代を決定するのに重要な資料が展示してあります。
駆け足でしたがまたひとつ勉強になりました。次回は寄り道せずに万葉文化館へたどり着けるかな、どうかな。
加茂大祭のこと
祖父母のお墓参りも兼ねて岡山県吉備中央町の秋祭り加茂大祭に行ってきました。
950年の伝統を誇る岡山県三大祭のひとつで現在は十月の第3日曜に開催されます。
加茂大祭について
加茂大祭は町内8つの神社が総社宮へ集まり、総社宮を合わせた9つの神社で大祭が行われる寄宮祭(よせみやさい)で岡山県の重要無形民俗文化財に指定されています。
平安後期に旧加茂郷で悪疫祓除の感謝のために神社が参集したのが祭りの起源だそうです。
総社宮に集まる8つの神社は、御神輿行列が総社宮に入っていく入御(にゅうぎょ)の順に鴨神社、化氣(けぎ)神社、松尾神社、日吉神社、素戔嗚神社、八幡宮、天計(あまはかり)神社、三所(さんしょ)神社です。
入御の順番も時刻も正確に決められています。
前日は各神社周辺で宵祭りが行われ当日の流れはこんな感じです。
06:00 各神社総代が総社宮に集合。
07:00 お入り(入御)。幟を先頭に鳥居の内外で棒使いや獅子舞などを奉納して最後に御神輿が神社に入ります。御神輿は本殿左右に設けられた長床(仮宮殿)に入ります。
11:15頃 お入りが終わり一旦休憩となります。
12:00 「お遊び」。太刀振り・麒麟獅子・棒使いの奉納です。
12:30 御神幸(ごじんこう)。長床から順に出された8つの御神輿が横一列に並び一斉に差し上げられます。
13:30 お立ち(還御)。各神社の御神輿行列が決められた順に総社宮を後にして各地区へ帰っていきます。
15:30頃 終了
見どころ
お入りの際に鳥居の内外で演じられる奉納と、午後のお遊び行事が見ていて楽しかったです。
奉納は棒使い、奴練り(鳥毛)、獅子舞など各神社同じなのですが、例えば松尾神社の獅子舞、日吉神社の鳥毛など各神社特徴があるそうで興味深く見入ってしまいました。
お遊びで行われる太刀振りは、薙刀をすごい速さで振り回すのですが失敗すると薙刀が飛んでいくなと思うとこちらが緊張しました。
麒麟獅子(継ぎ獅子)は長床の前で各神社の獅子が高さを競うように舞います。写真でもわかるように肩の上に立って舞っています。
御神輿で珍しいのが化氣神社の榊葺神輿(さかきぶきみこし)です。榊の葉を糊で一枚一枚貼っているそうです。大変わかりづらい写真ですがきれいな緑色の屋根の御神輿です。
お祭りの長い一日
このお祭り、見る側もまぁ長いですが参加する側はもっととっても長いんです。
御神輿行列は早朝の総社宮到着に合わせて各神社出発するのですが、一番遠い化氣神社は午前1時集合の2時出発だとか。まだ寝ているうちから花火が鳴り御囃子や御神輿をあげる雄叫びが聞こえてきました。
この時期の吉備中央町の深夜早朝は10℃を下回ります。お神酒で身体をあたためながら、所々で料理も振舞われて総社宮に着く頃にはもういい感じにできあがってしまうそうです。
さらにお立ちで各神社に到着するまでの間、行き同様お酒や料理が振舞われたり宮司がお祓いをしたりで神社に到着して奉納して、遅い神社で20時頃終了と聞きました。御囃子や棒使いなどの子どもたちにとってもかなりハードな一日だと思います。
御神輿は現在は少しトラックに乗せるそうですが、それでも待機中を含めて長時間担いでおられますから大変そうです。
重要な役割がたくさんある加茂大祭ですが、氏子の世帯数の減少で現在は保存会の協力なしでは厳しい神社もあると聞きました。
祖母の家は氏子ではありませんが、その家に住むいとこも子供の頃は神具を持つ手伝いで参加していました。
母や叔母の時代は女性は参加していなかったと記憶しているということですが、御囃子隊には女性も子どもたちも多く参加していました。
日吉神社には小さい獅子がいて幼い子どもが代わる代わる演じていて感心しました。子どもを参加させることに賛否両論あるそうですが、個人的には次の世代へ引き継がれていく素晴らしいことだと思いました。
お祭りのお楽しみ
この地域では祭りの日には各家庭で鯖寿司を作るそうです。たくさんのお料理とともにお弁当に持って行ったり振舞ったりします。
ところがうちは祖母が魚が苦手だったらしく母も叔母も「うちでは鯖寿司出たことない」と言います。この日のうちのお弁当も鯖寿司ではなくいつものばら寿司でした。
お昼頃、青く晴れた空と御囃子のBGMに彩り豊かなお弁当畑が広がりました。
たくさん並んだ露店も祭りの楽しみのひとつです。
「今年は少ないなぁ」という声が聞こえてきましたが一通りなんでもありましたので、早朝から参加してお腹がすいても大丈夫。
ボールすくいや輪投げなど祭りに飽きた従甥も楽しんでいたようです。
総社宮のお向かいにはお祭り会館があり、祭りの日は無料で開放されていたので休憩に覗いてみても良いかもしれません。
アクセスは悪いですが駐車場は所々設けてありシャトルバスが出ているとのことです。事前に公式サイトや関連サイトを確認するのが良いですね。
祭りの後、数日間は祭囃子が耳について離れず嬉しい余韻を楽しみました。飽きたと言う従甥も帰ったらシーツを被って獅子舞遊び。
滅多に会えない友人や親族が祭りで再会し笑顔でまた別れる。いつ会えるかわからないけど祭りに来れば出会えるかもしれない。軽く同窓会状態のいとこを見て心があたたかくなりました。
吉備津神社と吉備津彦神社
祖父母のお墓参りを兼ねて加茂大祭というお祭りに行きました。岡山県吉備中央町です。お祭りの前日、吉備津神社と吉備津彦神社に行きました。吉備津彦神社を訪れるのは初めてです。
岡山市北区にある吉備津神社と吉備津彦神社。1.5km程離れています。
御祭神は同じ・桃太郎伝説のモデルとされている大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。
吉備津神社は備中の国の一宮で、吉備津彦神社は備前の国の一宮です。
吉備津神社
吉備津神社は「比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)」の本殿・拝殿(国宝)や全長360mの回廊、釜で吉凶を占う鳴釜神事で特に有名です。
現在の本殿は室町中期1425年足利義満によって25年の歳月をかけて再建されたものだそうです。
回廊の途中にある南隋神門は吉備津神社では最古の建造物で南北朝時代1357年の再建。現在保存修理中の北隋神門(室町後期再建)、鳴釜神事を行う御竃殿とともに国の重要文化財に指定されています。
吉備津神社本殿と北隋神門の屋根は檜の皮で葺いた檜皮葺(ひわだぶき)で、北隋神門の檜皮葺は階段途中から振り返るとわりと近くで見ることができました。
吉備津彦神社
吉備津彦神社は大吉備津彦命の屋敷跡に社殿が建てられたのが始まりだそうです。
二月の節分祭、五月の子安神社例大祭、八月の御田植祭、十月の秋季例大祭などなど年間を通して岡山の歴史文化にまるわる神事が多いのが特徴です。
訪れた日の翌日が秋季例大祭で、流鏑馬神事を見てみたかったのですが今回は加茂大祭に来たのでまたの機会に。
吉備津彦神社の絵馬は丸くて桃が描かれています。桃のおみくじに桃の御守り、桃の御朱印帳もあってちょっとかわいいです。
桃太郎伝説について
吉備津神社・吉備津彦神社へ参られる際はおさえておきたい桃太郎伝説のお話です。(※神社の由緒書と公式サイト、ガイドさんのお話を参考にしていますが諸説あるそうです。)
2018年、岡山の桃太郎伝説は日本遺産に認定されました。岡山県の27の文化財から構成されます。一般的な桃太郎のおはなしのルーツといわれているのが吉備津彦命の温羅(うら)退治です。
吉備国へ渡来した百済の王子ともいわれる温羅は、朝廷に対抗して吉備国で蛮行を重ねていました。その容姿や凶暴さから鬼や鬼神とも表現されます。
第十代崇神天皇の時代(古墳時代)、吉備国平定のために大和朝廷から遣わされた吉備津彦命は温羅を討ち、吉備国に平和と秩序を築いて人々のために仁政を行いました。
温羅を討つお話はこうです。
吉備津彦命と温羅は矢を撃ち合い、お互い雉や鯉など動物に身を変え温羅は討たれるのですが、その首は生気を漂い吉備津神社の御竃殿の下に埋めてもうなり声を上げ続けます。これが鳴釜神事の起こりだそうです。
また、吉備津彦命は温羅征伐に3人の供をつけていて、それが家来だったのか豪族だったのかそのモデルにも諸説ありますが、犬も雉も猿も無縁ではなさそうです。
鬼と称される温羅は一方で吉備国に製鉄や土木の技術をもたらした功労者ともいわれ、大和朝廷の脅威だったともいわれます。
歴史的背景があって史料が残っているとなんだかわくわくしてきませんか。
こちらのサイトも参考にさせていただきました。
参拝の後は「おおもりうどん」
吉備津神社・吉備津彦神社へ参られてお腹がすいたらおすすめしたいのがJR吉備線(桃太郎線)備中高松駅近くのおうどん屋さん「おおもりうどん」です。
吉備津神社から自動車で10分程に西方、最上稲荷の大鳥居が目印です。
おおもりうどんと聞くと「大盛なのかな」と思ってしまいそうですが、半分正解で、店主が大森さんという苗字であり、加えてうどんの量が通常の倍ほどあります。
大(大盛り)を注文しなくても充分大盛りなので注意が必要です。
讃岐のようにめちゃくちゃコシがある麺ではなくて、大阪うどんのように柔らかすぎずその中間といった感じの麺です。その麺がお出汁とよく絡んで、量が多いのにするすると食べてしまいます。一番人気は肉うどんです。
おいしいだけでなく量が多いだけでなく、お値段も大変懐にやさしいのです。
よく覚えていませんが、かけは390円くらい、きつね・わかめ・月見は480円くらい、おむすびとおいなりさんは小さくないのに50円くらいです(2019年10月の記憶)。
肉うどん、カレーうどん、天ぷらうどんなどは700円か750円くらいだったかなと思います。おいしくて量も多くて大満足できることと思います。
ちなみにメニューの宗治(むねはる)うどんの宗治とは、戦国時代の武将で備中高松城主の清水宗治だろうと夫が言っていました。詳しいなあ。
店舗はJR備中高松駅から東方へ300m程、国道180号沿いにあります。
備中高松の写真館で、祖母の遺影といとこの成人式の撮影をした帰りに寄ったおおもりうどんで、いとこは振袖であるにもかかわらずカレーうどんを食べました。
写真館のショーウィンドウには暫くの間、祖母の遺影となった写真が飾られて少しだけ有名になりました。
母とふたりでおおもりうどんに寄った日、私のきつねうどんを一口ちょうだいと言って1枚しかないきつねを食べられて衝撃を受けました。
大晦日、叔母が仕事帰りに買ってきたのはおおもりうどんのおうどんで、年越しそばではなく年越しなべやきうどんを食べました。
備中高松周辺は、叔母の職場も祖母が最初に入居したホームもあって、おおもりうどんとともに思い出が積み重なっていきます。いつ行っても懐かしくあたたかいおうどんやさんです。
福知山な日
祖父母のお墓参りで京都府綾部市に行った帰り、お隣の福知山市へ寄りました。子どもの頃何度か訪れていて、由良川に釣りに行った時に祖父の釣り竿が竹竿だったのを覚えています。
最初に寄ったのは三段池公園。散策道のほか植物園や動物園、児童科学館、各種スポーツ施設があります。
動物園が好きなので動物園に行きました。
この福知山市動物園は2010年にウリ坊の背中にしがみつく赤ちゃん猿で有名になりました。ぜひ動画検索して癒されてください。
大型の動物はいなくて規模も大きくないですが、動物にエサをあげたりふれあえたりするのがめっちゃ楽しいです。子どもたちもエサやりに夢中でした。
植物園にも寄ってみたかったのですが時間切れでしたのでまた次回。
次に福知山城へ行きました。来年の大河ドラマで少し注目されています。
1985年に再建されたお城の中は郷土資料館になっていて、特別展示の準備が進められていました。天守からの眺めは綾部に似て懐かしい感じでした。
最後に明智光秀の霊を祀った御霊神社へ行って帰りました。
桔梗紋、光秀、福知山城、由良川、明智藪。ちょっと旬なキーワードを巡ってみましたが福知山の見どころはそれだけではありません。福知山城から自動車で北へ30分ほどあがると元伊勢三社があります。
元伊勢内宮皇大神社は三重県伊勢神宮の天照大神の御神体を大和から伊勢に遷す際に一時的にお祀りしていたそうです。また元伊勢外宮豊受大神社は伊勢神宮外宮の本宮と言われているそうです。と、テレビで特集していました。
次回はこの辺りを周りたいと思います。
福知山の見どころがつまった福知山観光協会のサイトもわかりやすかったです。
アライグマのこと
先週、散歩中に3匹のアライグマを見ました。
そんなことある?と驚きました。先々週、動物園でアライグマを見たばかりです。
しかも見かけた場所は車が途絶えることのない主要道路のすぐ傍でした。
タヌキは出るとは聞いていましたが、それは地元でも山麓の方の話で、イタチなどの小動物は稀に見かけますがアライグマは初めてです。
最初はタヌキかと思いましたが「しっぽが長くてしましま」はアライグマ。
3匹のアライグマはどうも様子が変で、道路の植え込みに近づいては威嚇して?威嚇されて?退いてを何度も繰り返していました。
そのうちアライグマの顔がわかるくらい私たちの近くへ寄ってきました。威嚇しに来たのでしょうか。私たちのすぐ後ろを車やバスが絶えず走っていましたが、それ程恐れる様子ではありませんでした。
暫くした後、その植え込みの反対側に猫がいることがわかりました。
猫が私たちに気を取られている間に3匹のアライグマは音もなく猫の後ろ側を小走りで道路を渡っていきました。
猫は気づかず、再び植え込みの方をじっと眺めていると、道路を渡ったアライグマが1匹出てきて猫に存在を知らせます。「もうこっちだよ~」と猫をおちょくっているようにも見えました。
帰ってインターネットで調べたら、山から下りてきた感じではなく、その近くの公園に生息している調査結果がヒットしました。
アライグマは外来生物法の特定外来生物に指定されているということで捕獲器の貸し出しが行われていました。
気性が荒く噛みつくこともあるらしいので近づかないようにしないといけませんね。
五斗長垣内と海遊び
なんて読むのでしょう。ごっさかいとです。
垣内は苗字でよくありますよね。でも五斗長が読めなかったです。
これは淡路島にある集落の名前です。
このサイト、見やすいだけでなくてとってもかわいくて好きです。
弥生時代、五斗長は鉄器づくりの村でした。
2004年、淡路島を襲った巨大台風の復旧調査の際、農地であった地面の下からこの遺跡は発見されました。
弥生時代後期の竪穴建物跡、鉄器を作る炉跡が発見され、朝鮮半島製とみられる斧や鏃も多数出土しました。
海はかすんでいましたが、こんな風景なかなかないですよね。秋のさわやかな風が吹いて本当に心地よかったです。
この後伊弉諾神宮へ行ったのですが、残念なことに眠くてあまり覚えていません。
その後、新都志海水浴場でズボン濡らしながらじゃばじゃば遊び、パルシェ香りの館カオルカフェ・ハーブショップというお店でラベンダーのソフトクリームを頂きました。水遊びのあとのソフトクリーム、最高です。
淡路島、遠くはないけど近くもなく、観光に行くにはいつも駆け足の日帰りという感じになります。
いつも四国旅行の帰りに通るのですが、淡路島って大きくて縦長で、
「大鳴門橋の時点では起きてるけど、淡路島ではだいたい寝てて、明石海峡大橋から神戸らへんなると起きる、だいたいこのパターン」と夫がいつも笑います。
淡路島、いつも寝ていてごめんなさい。また行きます。
熊野三山のこと
遊歩道は通行止めで千畳敷までしか行けませんでしたが、熊野灘の大迫力の荒波と落ちてきそうな岩と大量のフナムシ、充分こわかったです。
荒波に吸い込まれそうで恐ろしくて腰が引けて足がすくむのですが、その荒波から目が離せなくなります。ベンチがあるのでずっと眺めていたかったのですがフナムシが占拠していました。
翌日は初めて熊野三山を参詣しました。熊野古道を歩きたかったのですが時間がなくて自動車で行きました。
熊野速玉大社
和歌山県新宮市にある熊野速玉大社には樹齢千年の梛の御神木があり、国の天然記念物にも指定されています。神殿の千木の風穴がハートの形をしているのが印象的でした。
社殿のない自然信仰の時代、熊野大神が降臨した神倉山(神倉神社)にて祀られていましたが、麓に新しい社殿を建ててお祀りしたのが新宮・熊野速玉大社、ということだそうです。
神倉神社は熊野速玉大社から約2km南にあります。時間がなくて行けませんでしたので次回行こうと思います。
熊野那智大社
那智の滝で有名な熊野那智大社は和歌山県那智勝浦町にあります。熊野速玉大社(和歌山県新宮市)から自動車で約40分くらいでした。
石段がたくさんあるので履物には注意が必要です。改修工事が行われていて色々と覆われていました。お隣には西国三十三所第一番札所青岸渡寺があります。
熊野那智大社別宮飛龍神社から見上げる滝の高さは133m。想像以上に壮大で心がふるっと震える感じがしました。荘厳な雰囲気が漂っています。
那智勝浦は生まぐろの水揚げ量が日本一だそうで、JR紀伊勝浦駅付近には生まぐろが食べられるお店がたくさんありました。
熊野本宮大社と大斎原
和歌山県田辺市にある熊野本宮大社へは那智勝浦から自動車で約1時間くらいでした。
参道の途中にある祓戸大神にまずお参りするのですが、足元を見て石段を上がっていくので通り過ぎてしまいそうです。拝殿の隣に黒いポストがあります。
旧社地大斎原(おおゆのはら)へは熊野本宮大社から徒歩10分くらいです。
上四社・中四社・下四社から成る熊野本宮大社はもともと川に囲まれたこの地にありましたが、明治時代の大水害により中四社・下四社が倒壊してしまったため、上四社のみ現在の熊野本宮大社にてお祀りしていて、倒壊した八社と摂末社を石祠として大斎原でお祀りしているそうです。
大斎原の奥に流れる冷たい熊野川で真っ赤に日焼けした肌を冷やすと、その日一日痛みが引いていました。江戸時代まで橋がなく、川に入って渡らないと本宮へ行くことはできなかったそうです。「川で身を祓い清めてからでないと神域に入れなかった」と思うとより一層スピリチュアルな感じがします。
この後、何度か訪れている玉置山へ寄って帰るつもりでしたが時間切れでした。
駆け足の熊野三山、次回はもう少し歩きたいなと思います。